家から少し歩いた先に、ベンチがある。
坂道を上がると息は切れるし、暑い日は普通にしんどい。でも、クロムは先を歩く。草の中を行ったり来たりして、僕はベンチに座る。目の前には街と海が見える。
別に観光地でもない。高い店へ行くわけでもない。家から歩いてきただけだ。
それでも、その日はこれで十分だった。
仕事の隙間に追いやられていた時間
二つの仕事を合わせて、月222時間ほど働いていた時期がある。昼に働き、夜にも働く。自由時間は仕事と仕事の隙間へ追いやられ、丸一日休めるのは週に一日くらい、という感覚だった。
休みの日も、何もしないでいたわけではない。家のDIYや雑用があった。買い物をして、気になっていた場所を片づけて、また次の日の準備をする。時間が空いても、何かで埋めていた。
働いている時には、休みは貴重だった。だから空いた時間も、どこかで使い切るもののように思っていたのかもしれない。
月222時間働いていた時のことは、月222時間働いても、生活に余裕があるとは思えなかった に書いた。
けれど、ある日、一時間ほどの空きができた。
そこでクロムを連れて歩いた。家から二十分ほど坂を上がると、ほとんど人のいない場所がある。クロムは草の中を歩き回り、僕はベンチに座った。持ってきたのはチューハイとサバ缶だけだった。
目の前には伊東の街と海が見えた。
その時に、何か大きな答えが出たわけではない。仕事のことも、生活のことも、考えなければならないことがなくなったわけではない。
ただ、その日は空いた時間を別の予定で埋めなかった。
家に戻る時間
伊豆の家で暮らしていて、朝の時間も少しずつ変わった。起きたらコーヒーを飲んで、クロムと散歩へ行く。自分で直したベランダに出て、ぼーっと外を見る。家の中で気になっていたところを少し片づけて、必要な買い物をして、また家へ戻る。
特別な暮らしではない。
家を買った直後は、トイレや修繕のことで頭がいっぱいだった。住むために直した場所が、いつの間にかコーヒーを飲んだり、外を見たりする場所になっていた。
クロムがいるから、散歩に行く理由がある。外に出る理由がある。犬と暮らすことが何かを解決する、という話ではない。ただ僕の場合は、普通の日常へ戻る場面の中に、クロムとの散歩があった。
仕事で埋まっていた時間に比べると、朝にコーヒーを飲むことも、ベランダで外を見ることも、ずいぶん小さなことに見える。
でも、こういう小さなことが戻ってくると、空いた時間を全部「次のため」に使わなくてもいいと思える時がある。
普通の日常へ戻ることは、問題を解決する方法というより、考える前に生活を壊し切らないための時間だったのだと思う。
自分の場合は、答えを出す前に、クロムと歩き、家に戻り、また次の日を過ごす時間が必要だった。