手取り15万円程度の仕事を休んでいた時、次の仕事を急いで探すのか、それとも少し待つのかを考えることになった。
その時に考えたのは、もっと稼げる仕事を見つけられるかだけではなかった。自分の生活には、いくらあればすぐ崩れずに済むのか、ということだった。
これは、手取り15万円で誰でも暮らせるという話ではない。自分の住む場所や、毎月出ていくお金が変わる中で、必要な収入の見え方がどう変わったかという個人の記録である。
月5万円の家賃を払っていた頃は、次を急いで考えた
埼玉に住んでいた頃は、月5万円ほどの家賃を払っていた。毎月必ず出ていくお金だった。
その後、伊東で家を買い、家賃はかからなくなった。買った時の費用や修繕がなくなったわけではないが、毎月の家賃を用意し続ける状態からは離れた。
仕事を休んだ時、以前と同じようにすぐ次を決めなければならないのかを考えた。手取り15万円程度でも「これくらいでいい」と思えた部分があったのは、家賃がない状態だったからだと思う。
ただし、これは家を買えば低い収入でも安心できる、という意味ではない。自分の場合に、毎月の住居費の形が変わったことで、必要な収入を考え直すきっかけになった。
年間18,000円の納付書は、答えではなく手掛かりだった
今の家の固定資産税は、納付書で確認して年間18,000円だった。最初に見た時は、「これなら生きていけるかもしれない」と思った。
月5万円ほどの家賃を払っていた頃の自分にとって、その金額は住居費への不安を小さくする材料になった。
でも、18,000円が自分の生活全体を表す数字ではない。これは固定資産税という一つの費目で、修繕、水道、車、食費などまで含めた金額ではない。
必要な収入の最低線は、固定資産税だけを見て決められるものではなかった。それでも、毎月必ず出る支払いと、年に一度出る支払いを分けて見ると、自分が何に追われているのかは少し見えやすくなった。
家賃がなくても、生活全体の支出は残る
家賃がなくなっても、古い家には修繕がある。車も生活に必要で、食費や光熱費もかかる。何かが壊れた時に、今直すのか後回しにするのかを自分で決める必要もある。
だから、家賃がなくなれば働かなくてよい、という話ではない。
自分の場合、家賃がなくなったことで必要な収入の最低線が少し下がったように感じた。一方で、修繕のように先が読みにくい支出も残った。生活を支えるお金は、一つの安い数字だけで決まるわけではなかった。
最低線を知ることは、自由になることではなかった
固定費を下げても、仕事の問題や今後の迷いまで消えたわけではない。
それでも、自分に必要な金額を考える時、毎月の支払い、年に一度出る費用、急には読めない出費を一緒に見るようになった。
自分に必要な収入の最低線を考えることは、正解の金額を一つ決めることではないと思う。自分の生活で何が毎月必要で、何が後から出るのかを見ながら、今どのくらい急いで答えを出す必要があるかを考えることだった。
自分の場合は、月5万円の家賃から離れたことを、その最低線を考え直す材料の一つとして見た。そこから先をどう生きるかは、まだ考えている途中にある。